加治の菜の花畑


渥美半島の中腹、国道沿いに「加治の菜の花畑」と呼ばれているところがある。

農家の三男だった祖父が、若い頃に日雇いで稼いで生まれた村の山林を買って開墾した。
父は、牛で鋤を引いて耕すのを手伝ったが、子供で体重が軽かったので、好きに石を乗せていた
という話を聞いたことがあるので、昭和25〜30年頃のことだと思う。
開墾した畑はお茶畑になった。

祖父は、この時点で米とお茶で安泰だと思ったようだ。

昭和49年頃に、父はここに牛舎を建てた。
一棟、また一棟とお金ができたところで増やしていって3棟の牛舎ができた。
牛舎を建てたのは畑の一部だけなので、残りはお茶畑のままだったが、最終的にお茶畑は牧草地になった。
父は、お茶をやめて牛飼いに注力できたことで儲かるようになってきたと言っていた。

父が60歳になるかならないかの頃、母は、もう働きたくないと言った。
子供達が独り立ちして、もう働く必要ないじゃないかと。
父は心残りもあったが、一棟めの牛舎の一部を農機具をしまう小屋として残して、残りの設備を全て
片付けて、時々トラクターで耕すだけの日々を送っていた。
隣近所の畑に迷惑をかけないために、畑を定期的に耕して雑草が増えないようにしないといけなかった。

田原市が(観光地施策と休耕地対策として)菜種を無料でくれると聞いて、
もらってきて耕した畑に菜種を撒いて菜の花畑にした。
観光で来た人が立ち寄っているのを見て喜んでいた。

父が、ガンで余命3ヶ月と言われた時に父が最初に心配していたのが畑のことだった。
「あの畑、耕せなくなった。困ったなぁ。誰か作物を作ってくれる人いないかなぁ」
種をもらっていた市にも「畑を耕せなくなった」と自ら言いに行った。

親戚で、その畑を使わせてくれと言ってきてくれた人がいたあとに、
市から NPO 法人が菜の花畑を維持することができるという返事をもらった。
父は
「親戚の畑の話は断らないといけないなぁ」
と嬉しそうに言っていた。
僕は、畑を荒らさずに済むだけでなく、親戚の利益になるほうが嬉しいのかと思ったが、そちらを選ばなかったのが意外だった。
父は、NPO 法人の咲かせた菜の花を見ることなく亡くなったが、安心していたことだろう。
親戚はあの畑がうちのものだったことは知っているのでたまに聞かれるが、うちがあの畑を売らずに無料で貸していることに驚く人もいる。

菜の花畑は、通路が綺麗に作られていたり、写真スポットのためにベンチが置かれていたりしてた。
週末には小屋(牛舎)の鍵が開けられていて、簡易トイレがあったりするらしい。
(牛舎の中どうなっているか見てみたいけど、菜の花の時期の週末にそのためだけには帰れないんだよなぁ)
この時期には、名古屋のテレビ局が中継しているらしい(僕は見れないけど)

見に行ける人は見にいって欲しいなぁと思っている。
菜の花は2月で終わりで、畑は耕され、ひまわりの種が植えられ夏場はひまわり畑になるのだが、NPO 法人の運営はうまくいっているようだし、
自分は、あの畑を売ったり別の人に貸したりする気はないので、また来年も菜の花畑が見られると思う。

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