僕が子供の頃、父は飼っている牛を屠畜場に持っていて処理して、肉屋(卸し)に枝肉として売っていた。
50年近く前には、小さな屠畜場があって、僕と弟はたまにそこに連れていてもらっていた。
屠畜しているところは危ないので見れなかったが枝肉になって吊るされていたり、皮を剥がれて置かれている牛の頭を見たりしていた。
今なら屠畜場も大規模化して部外者は見学なんてできないだろう。昭和50年代って感じ。
あんな、午前中には処理が終わってしまうような小さな屠畜場でも、検査する獣医はいたんだよなぁ、って大人になってから思う。
帰りに道沿いのラーメン屋に寄ったが、最初に屠畜場に行った頃は、僕があまり食べられなくて、そのことを父に晩年までからかわれていた。
小学生の頃は、父が、動物を好きだと言いながら、動物を殺傷することに、その時は納得できていなかった。
年をとるにつれ、僕もだんだんと折り合いをつけるようになってきたんだと思う。
我々は人間であり、人間優先。人間よりも動物が優先されちゃいけない。
動物のタンパク質は、人間が健康で長生きするために必要。
僕は牛の生命を犠牲にして養ってもらい大学まで行かせてもらった。
もし僕が今からベジタリアンになったとしたらそれは単なる偽善だなって思う。
父は動物好きだった。
家では、犬も猫も飼っていたし、晩年に仕事を辞めてから趣味で烏骨鶏など変わった鶏を飼っていた。
動物好きと、動物の犠牲の上に成り立っている生活の矛盾は、矛盾ではあるけれども今なら受け入れることができる。
今年はクマが街中まで出て、多くの人的被害を出している。
子グマの映像見たら、かわいいなぁとは思うしかわいそうだとは思うが駆除は必要。
我々は人間なんだから。
クマの駆除に反対している人たちは、駆除している人たちを血も涙もないと思っているかもしれないが父のように優しい人なんだろうなぁ。
昨日のニュースで、秋田県が猟友会に払う金額を、報酬(日当)を 4000円から8000円に、今年に限りクマを捕獲したハンターには、それ以外に報奨金 10000円を払うとやっていた。
命をかけて地域の安全のために割に合わない仕事をしてくれているんで、せめてもっと金銭的に支援できないかなぁと思う。
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