妹のキャリアパス

妹は、昭和の時代に近所の農業高校を卒業して地元の澱粉工場に就職した。もしかしたら水飴だったかもしれない。品質の管理(計測)をする仕事と聞いていた。パソコンのない時代だったので、測った数値を紙に記録する仕事だったんだと思う。その工場は、今はもうない。
おそらく55歳定年で、会社は 60歳まで雇用する努力義務があるという時代だったと思う。

20歳になる頃には友達が結婚し始めていたので
「自分も早く寿退社したい」
と言っていた。

22歳には無事寿退社して、子供を二人産んだ。
下の子が生まれた後、0歳か1歳の頃にパートで働き始めた。子供二人を保育園に預けて。
その頃は小さい子の保育料は高かったし、その年齢で保育園に預けている家庭はあまりなかった。
小学校になると、夏休みには子供二人を実家に預けて働いていた。
母は以前
「子供の頃は、のんびりしてぼーっとした感じの子だったけど、大人になったら頑張るようになった」
と言っていた。

下の子が高校を卒業した時に、ずっと働いていた職場で、週5×8時間働くようになった。
僕や妹が学生だった頃は、学校教育でパソコンを使うこともなかったしインターネットも一般には普及してなかったのだが、妹はそれまでのパート仕事で Excel が使えるようになっていた。僕は、Excel 使えないので尊敬する。
その職場で、今年度(去年の4月)から正社員として働くようになった。
給料は上がってなくて、変わったことといえば寸志がボーナスと名を変えたことと、定年が 65歳のなったことくらい。
会社としては、どうせ来年も再来年も働いてもらいたいし、人件費が増えないんだったら正社員になってもらってもデメリットないという考えなんだと思う。

寿退社は完全な死後になってしまったが、本当に妹が結婚する頃は、女性はみんな仕事を辞めていた。
妹も、あの頃に自分が 50歳を過ぎてから正社員になって定年が 65歳になるとは思ってなかっただろう。

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